「主イエスを迎える」 04.10.17
ルカ19:28〜44
主イエスは、子ろばに乗って、エルサレムの都に入城されました。
この子ろばには、私たちの姿が映し出されています。
子ろばは、イエスさまの側ではなく「向こうの村」にいました。子ろばは、
イエスさまの事を知りません。しかし、イエスさまは子ろばを知っておられ、
ご自分の側に呼び寄せられました。イエスさまと人との関係は、しばしば
このように始まっていきます。ザアカイ(19:5)の時も、ナタナエル(ヨハネ1:48)
の時も、そして私たちの時も同じです。イエスさまが、向こうの村のような
離れた所にいた私たちのことを知っておられ、そこからご自分の側に呼び
寄せてくださり、イエスさまと一緒に生きる者としていただきました。
「わたしがあなた方を選んだ」(ヨハネ15:16)とイエスさまがおっしゃって
くださった通りです。
「主がお入用なのです」というのは、「子ロバの主人、持ち主が必要と
している」と言うことです。子ロバは、「持ち主たち(33節)」から本当の
「持ち主」の所に移るのです。私たちの本当の持ち主とは誰でしょうか。
様々なものに縛られ、支配されて生きる私たちであります。
イエスさまは、「わたしがあなたの本当の主人だ」と呼びかけてくださいます。
私たちは、イエスさまから「必要だ」と言われています。「あなたがたは、
代価を払って買い取られたのです」(コリント一6:20)と言われます。罪と死の
支配にあった私たちを、神の民とするために、買い取ってくださった。
その代価は、イエスさまの十字架です。神さまは、御子の命に代えても、
私たちを神の民としようとされた。
それほどまでに必要とされているのです。驚くべきことです。小さなろばに
過ぎない私たちですが、そのような主イエスの言葉に包まれて、励まされ、
イエスさまと共に一歩一歩進んでいくのです。
イエスさまの命がけの救い、ご自分を受け入れない者が滅びる
ことを嘆き、涙される深いご愛。それらを証しし、人の救いを願い、
祈りつつ、進みたいのです。